あなたは「真面目に頑張ることによって疲れてしまう」「自己肯定感が低い」ことの原因が”トラウマ”にあるといわれたらどう思いますか?
お疲れ様です。この殺伐とした現代社会、やならければいけないことが多く、そこにさらに人間関係の複雑化など、私たちの周りを取り巻く環境は目まぐるしく変わっています。
そんな中頑張っているあなた🫵
「本当は休みたいのに、頑張ることをやめられない。」 常に完璧を目指し、自分に厳しい評価を下してしまう。そんな悩みを抱えてはいませんか?
突然、感情が爆発したり、逆に何も感じられなくなったり…。自分の感情なのにコントロールできず、自己嫌悪に陥ってしまうことはありませんか?
周囲からは「真面目だね」「しっかりしているね」と言われるけれど、なんだか常に生きづらさを感じている。その正体が分からずモヤモヤしている方も多いでしょう。
筆者もそのうちの一人。頑張っても、頑張っても終わりが見えない仕事、すでにいっぱいいっぱいなのに頼まれたら引き受けてしまう…。
こうしたものが溜まっていって爆発したとき、一緒に暮らしている猫ちゃんに泣きついて「お゙ー゙ー゙ん゙疲゙れ゙だよ゙~゙~゙ ギャフベロハギャベバブジョハバ」とモフり倒してネコパンチと乱れ引っ掻きをお見舞いされ生傷を量産するということを繰り返しております😅

でも、やめられない…!! 猫ちゃんいつもごめんね…!!
そういった方々にひとつまみのエッセンスとして、精神科医の鈴木裕介氏の著書『がんばることをやめられない コントロールできない感情と「トラウマ」の関係』を通じて、その生きづらさの根っこにある「トラウマ」との関係、頑張りすぎる自分を責めず、心穏やかに生きるためのヒントについてご紹介いたします。
自分との付き合い方が楽になるかもしれません。ぜひ最後までお読みください!
対象読者とこの記事で得られるもの
- 対象:真面目に頑張り過ぎて疲れを感じる方/自己肯定感が低い方/ネガティブな感情への向き合い方・考え方を知りたい方
- この記事を読むことで:
- ネガティブな感情に起因する「トラウマ」について理解できる
- 頑張り過ぎること、自己肯定感が低いことなど、ネガティブな感情に対する向き合い方・考え方がわかる
- 心穏やかに生きるためのヒントがわかる
原因は「トラウマ」にある?

- 本当は余裕がなくて断りたいのに、笑顔で頼まれごとを引き受ける
- 大切に思っている相手から遠ざかりたいと感じ、離れる理由を探している
- ときどき人が変わったように怒りを爆発させ、あとで後悔する
こういった経験はありますでしょうか?自分の中にある異なるベクトルの感情が同時に存在し、自己矛盾を抱え、苦しくなる😥
感情のコントロールがうまくできずに、自己嫌悪を感じることも少なくないですよね…。
そういった感情の正体は「トラウマ」が引き起こしているかもしれません。
そもそもトラウマとは?
自分の心身に大きく影響を及ぼした出来事を指します。
大抵の人は自分とは関係ない概念だと捉えますが、実は広く深い影響力を持っているのです。
トラウマ体験は、その場で受け止められないほどの悲しみや怒り、恐怖といった強烈でネガティブな感情や記憶、身体反応などを生み出します。
外的・内的要因によって、肉体的、及び精神的な衝撃(外傷的出来事)を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態となり、否定的な影響を精神に及ぼしてしまいます。

どうしてトラウマは生まれるのか?
トラウマは、その人が「対処しきれないほどの強い衝撃やストレス」 を経験したときに生まれます。
私たちの脳には、危険を察知して身を守るための警報システムがあります。
通常、危険が去ればこのシステムは落ち着きますが、トラウマになるような出来事を経験すると、脳が「まだ危険が続いている」と誤解してしまうことがあるのです😫
特に、
- 生命の危機を感じるような体験
- 身体の安全が脅かされるような体験
- 心に深い傷を負うような体験
そういった体験を脳がうまく処理できずに、「心の傷」として残ってしまうのです。
これがトラウマになります。
対処しきれなかった感情が「トラウマ」となる
トラウマは誰しもが持つ
ここまで読んでくださった方々の中には、「自分にはトラウマなんてない」「トラウマとは命に関わる出来事によって起こるものだ」と思う方もいるかもしれません🤔
しかし、「トラウマのない人はいない」のです!
例えば、「人が怒られている様子を見ると心がザワつく」。
このような経験はないでしょうか?実はこれもトラウマからくる身体反応なのです。
トラウマはなにも命に関わるような重大な出来事からしか発現しないといったものではありません。

人が不安がっているのをみると、自分も不安になってくる…。
トラウマの種類
トラウマにも大きく分けて2つの種類が存在します。
人にもよりますがこの2つのどちらか、あるいは両方があなたへ影響を与えているかもしれません。
ビッグT
「誰の目にも明らかな」 非常に衝撃的で生命を脅かすような出来事や、心身に大きな苦痛を与える出来事を指します。
長期にわたって精神的な苦痛を経験する場合があり、心的外傷後ストレス障害 (PTSD) などがその症状の代表的なものです。
- 戦争やテロ攻撃
- 自然災害(大地震、洪水、大規模な火災など)
- 生命に関わる大事故(交通事故、飛行機事故など)
- 性的・身体的虐待や暴力
- 重い犯罪の被害
一般的に大体の人が思い浮かべる「トラウマ」はこちらが多いのではないでしょうか?
こういった内容は確かに多くの人が経験するものではありません。そのため、トラウマは誰にでもあるといわれてもピンとこないのだと思われます。
スモールt
「ビッグT」ほど生命を脅かすものではないが、個人の感情や自己肯定感、人間関係に長期的な悪影響を及ぼす、日常的で反復的なストレスや出来事を指します。一見些細に見えても、その積み重ねが心に深い傷を残し、心理的な不調や機能不全につながることがあります。
- いじめ
- 慢性的な無視や軽視(ネグレクト)
- 親やパートナーからの批判や拒絶
- 重要人物との別れや喪失(ペットロスなども含む)
- 恥ずかしい経験や屈辱的な経験
- キャリアや経済的な大きな失敗
こちらは想像しやすいのではないでしょうか?日常生活を送っていく上で、この中にもいくつか経験しているものがあるかもしれませんね。
トラウマがない人はいない。特に「スモールt」は誰もが持っている。こういった日常的な小さな積み重ねが、少しずつ心身へ影響を及ぼしている可能性がある。
自己の分裂と「わたし(パーツ)」の概念

では、トラウマ体験を経験した私たちは一体どうなるのでしょうか?
その答えは…「分裂」を起こすです。
どういうことだ…?と思われる方も多いんじゃないでしょうか🤔
一つずつ確認していきましょう。
分裂した自分が生まれる理由
前述したように、トラウマ体験はその場で受け止められないほどの悲しみや怒り、恐怖といった強烈でネガティブな感情や記憶、身体反応などを生み出します。
このような感情を持ったままでは、日常生活をまともに過ごすことができません…。
生活を維持するためには、その感情を「私」が意識できないようにする必要があるのです。
では、意識しないようにはどうするのか?
それは“壁”を作り、その向こうに感情を封印するのです。
壁の向こうでは、本来の「私」の代わりに感情を引き受ける別の「わたし」が生まれます。
- 抑えきれないほどの怒りを引き受ける「わたし」
- 受け止められないほどの恐怖を身体感覚とともに封じ込めている「わたし」
- 親密な人に裏切られた衝撃から、親密さを拒絶する「わたし」
「わたし」が感情を引き受けることで、「私」は辛い感情から逃れることができ、守られることになります。
壁の向こうの「わたし」は、”トラウマ担当のパーツ“、あるいは単に”パート“や”パーツ“と呼ばれたりします。

生存戦略としての「解離」
このように、危機的な状況になんとか対応するために、自分を分裂させることを「解離」と呼びます。
トラウマが原因となって表れる反応のことを「トラウマ反応」といい、解離もその一つです。
解離についてもどのようなものがあるか確認していきましょう。
解離の種類
解離には大きく分けて2つの種類があります。どちらか、または両方を経験している人も多いのではないでしょうか。
ぼんやり解離
これは、「自分」と「世界」との間に壁をつくるイメージです。「離隔」といいます。
「自分の心や現実感が、一時的に自分から切り離される状態」です。
「ショックな出来事の間の記憶がすっぽり抜けている」、「ぼーっとしていて何をしていたか覚えていない」という状態も、ぼんやり解離に当たります。
アイデンティティの解離
こちらは「自分の心の中」に壁を作り、「私」をいくつもの区分に分けるイメージです。「区画化」といいます。
つらい記憶や感情から、「私」を守るために、「私」がアクセスできない区画を心の中に作り、そこに感情を追いやることで、苦痛から逃れます。
解離は自分を守るための生存戦略
パーツと感情コントロールの関係
解離してできた「わたし(パーツ)」は、危機的状況が去ったあとも「私」の中に存在し続けます。
過去に自分を襲った膨大な感情と共に…。
そして、ストレスやトラウマ体験により、日常生活を維持できないほどに切羽詰まると、「私」と「わたし」を分離する力が弱まり、膨大な感情を持つ「わたし」が激しく活性化します。
すると、「わたし」の感情や記憶が抑えきれずに”壁”から洪水のように溢れ出してしまい、「私」の理性では止められなくなってしまうのです😣
そうなってしまうと、「わたし」が自動操縦のように本来の「私」をコントロールし始め、人が変わったように、その感情のまま動いてしまいます。
パーツと感情は密接に関わりあっているのです。

「わたし」に乗っ取られると感情のまま動いてしまう!!
真面目・頑張り過ぎて疲れる/自己肯定感が低いのはなぜ?

ここまでトラウマとパーツについての関係を確認してきました。
では、それらがどうして、「真面目であること・頑張り過ぎることで疲れる」「自己肯定感の低さ」に繋がるのでしょうか?その点について確認していきましょう。
「私」と「真面目で頑張り屋なわたし」がせめぎ合う
対人関係ストレスや疲労、病気、仕事など、ありとあらゆることで「私」のキャパシティは奪われていきます。
そうなってしまうと解離していたはずの「わたし」との壁が崩れ始め、日常を送るためのエネルギーを、「私」と「わたし」で奪い合うような形になってしまうのです😥
そこにさらに、トラウマ体験が襲ってきたとき「わたし」の抑えていた感情は大きく刺激され、「わたし」のほうがほとんど優勢になっていきます…。

まるで綱引き…。
「私」のコントロールを「わたし」に奪われる
「私」と「わたし」のバランスが崩れ、パーツ側が大きくなりすぎると、パーツが抱えている感情を抑えきれなくなり、「私」のコントロールできる領域が少なくなりいずれ奪われます…。
こうして「わたし」が主導権を握った結果、日常をまわしていくことが難しくなり、この構造が「真面目・頑張り過ぎて疲れる」「自己肯定感が低くなる」の根本的な原因となります。
「わたし」が頑張ることを強いる
「真面目」「頑張る」のパーツは、かつて自分を否定され深刻に傷ついた痛みから守るために生まれました。
二度とそんな辛い思いをさせないために、「真面目に頑張る」ことを命じるのです🤨
頑張って周囲の期待に応えられている限りは、自分を否定される危険性は少なくなります。
「頑張ることをやめられない」「自己肯定感が低い」の悪循環へ陥る
そのため、「私」が『疲れた』『休みたい』と思っていても、「わたし」が『ここで頑張らないと危険だ』『存在意義がなくなるぞ』と警鐘を鳴らしてくるのです!
さらに、すでに自身のコントロール権は「わたし」が握ってしまっているため、休むことや断ることができずに悪循環を招いてしまいます。
こうしたことが積み重なり、『私は人一倍頑張らなければいけない』『私はダメな人間だ』などと、自己肯定感の低減へと繋がっていってしまいます🥲
これが重症になると”鬱”や”自律神経失調症”などといった、心の病気になるのです。
「わたし」が頑張ることを強要してくるため”頑張り過ぎてしまう”。
頑張っても、頑張っても、それでも「わたし」が頑張らせてくるため、自分は
「どんなにやってもできないダメな奴」と考えてしまい、自己肯定感が低くなる。
筆者の実体験

私自身、前述の悪循環へと陥ってしまい頑張りすぎたすぎた結果、身体を壊し”鬱”になった経験があります。
私の「真面目」「頑張る」「自己肯定感」のパーツはどのようなトラウマから来たのでしょうか…?一つの例として深堀りをしていきましょう。
トラウマの原因
兄の存在
私には2歳年上の兄がいるのですが、彼が大変にやんちゃな奴でして…。子供のころは何度も悪いことをしては学校の先生に親と一緒に呼び出され厳重注意を受けるといった、いわゆる”悪ガキ”でした🤨
そんな兄をみてきた私は、「こんな風には絶対にならない」「親には絶対に迷惑をかけない」といった信念を持つようになり、兄を反面教師としてみていました。
そのようなことがあり、今思えば私は”いい子”であることに執着していた、あるいはならざるを得なかったように思えます。
あ、彼は高校生ぐらいから大人しくなって今はまぁ普通です😅
若気の至りってやつでしたね。今は仲良い兄弟させてもろてます。
大きなショック
そんな中、私は中学1年生になり、中学校に入学しました。
初めての音楽の授業の日、音楽担当の先生にこのように言われたのです。
「(名簿表を見ながら)〇〇[私の苗字]…。お前、□□[兄の名前]の兄弟か?悪いことするなよ?見ているからな😡😡」
衝撃でした。何もしていないのにいきなり怒られました。
“いい子”として生きてきた当時の私はそれまでに怒られた経験がほとんどないうえに、ましてや予想もしないタイミングだったのでかなりのショックを受けたことを覚えています…。
どうやら私の音楽担当の先生は兄の担任だったらしく、手を焼かされていた張本人のようでした。(今思えばマジでお疲れ様です…!)
クラスメイトからは変な目で見られますし、先生にすごい絡まれるしでその日の授業はもうなんにも頭に入らなかった…。※ぼんやり解離
「自分はこういう色眼鏡で見られる存在なんだ」「頑張って価値を示さないとスタートラインにすら立てないんだ」そんな考えが頭によぎりました。
そのあともいろいろありましたが、恐らく私の「わたし」はこういったトラウマ体験から生まれたのだと思います。
受け止めきれない大きなショック。これがトラウマの原因となる。
「わたし」による支配・鬱の発症
ストレスと戦う日々・「わたし」による自動操縦
なんやかんやあって気付けばもう社会人。
当時は運用保守エンジニアとして、日々仕事に勤しんでいました。
ここでの勤務形態が「365日・24時間稼働・3交代制」の今考えると絶対にやめとけと言える現場で、心身の疲れやストレスが半端なく、日々疲弊しておりました…。
(※これマジでおすすめしません!!!そういう現場になりそうな方は気を付けて…。)
さらにそんな中で、私が本当にやりたいことはなんなのかを考えたとき、システムを運用保守するのではなく、開発する側に回りたいと思うようになり、そうなるべく行動をしていました。
※この経験について詳しくはこちら👇
上司に現場を異動したいことを話しましたが、「人手が足りない」「実力不足」と言われ続け、時には叱責を受けながらも、通常業務と並行して自身のスキルアップのため自己研鑽を行っていました。
多分この頃には、すでに「わたし」にコントロール権を奪われていたのだと思います。
”鬱”の発症
ある日いつも通り出勤したとき、目の前が急に歪んだと思えば私は駅構内で倒れていました。
そこから病院へ運ばれ、検査し、貧血や栄養失調、心肺機能の低下などいろいろと良くない結果を突き付けられました🤤
そしてそのとき担当していただいたお医者さんから、「多分、メンタルのほうも悪くなっているから精神科に行くように」と言われ、紹介状を渡されました。
「俺が精神科…? そんなまさか…笑」とか思っていたのですが、実際行って返ってきた言葉がこちら。
「えー、”鬱”です。」
嘘だろと思いました。自覚は全くなかったです。ですが、お医者さんから指摘された日々の異変、
- 食欲不振
- 不眠
- 意味もなく涙がこぼれる
- 小さなミス、物忘れ増える など
認識してなかっただけで、思い返せば全部ありました。
こうして気付けば私も心の病気になってしまっていたのです。
「わたし」によって「私」を自動操縦されていた。まさにこんな感覚でした。

自覚ないのが余計たちが悪い…。
癒しと受容へのステップ

ここまで解離の種類とその内容、筆者の具体的体験について詳細を確認してきました。
ここからはそんな「わたし」たちとの向き合い方、および考え方について一緒に理解していきましょう!
無理な「コントロール」は逆効果! まずは受容から始める
まず基本的にパーツはコントロールすることが難しいです😣
パーツは「私」が受け止めきれなかった感情を代わりに引き受けてくれているため、それをコントロールするということは必然的に「私」のキャパシティを超えることになります…。
では、どうするのか?
それはパーツのことを理解し、受容することにあります。
感情をねじ伏せようとしない
ネガティブな感情を「ダメなもの」として抑圧すると、かえって心身が疲弊します(アンガーマネジメントが効かないなど)。
感情は生きていく上で必ず発生するものです。
それを否定することは自分自身の否定へとなりかねません。そういった感情も自分であると受け入れていくことが理解への第一歩です!
すべての感情には「役割」がある
怒り、不安、悲しみといった感情は、自分を守るためのシグナルだと捉え直しましょう。
自分への悪意を感じれば怒り、それを制止する。自分の陥っている状況を鑑み、不安を覚えたらなら改善する。悲しいことがあれば、泣き、切り替える。
これらはすべて生きる上で大切な役割を担っているのです。
「幸福耐性」を身につける
「幸せになるのは怖い」「休むのは悪いこと」。
こういった無意識のブレーキを外し、「頑張らない自分」も許可することが重要です…!
頑張り過ぎてしまう一番の障壁はここなのかもしれません。
「休んで良い」「これぐらいで良い」。
そう思えるようになるのは決して簡単なことではありませんが、こうした新しい「安心」を受け止めることができれば、自分の中にあるパーツたちとの関係も良好なものになっていくでしょう。
パーツはコントロールはできない。共に生きることが大切。
自分を責めないための鍵:「パーツ」の役割を知る
パーツは自分を守るために存在してくれています。
そのパーツに対して一方的に嫌悪感を持つのではなく、なぜそのパーツが生まれたのか、どのような働きをしてくれているのかを知りましょう!
解離した「わたし(パーツ)」は敵ではない
頑張りすぎる自分や、怒りっぽい自分は、過去の危機から「私」を守るために生まれた、リスペクトすべき存在であると定義しましょう。
ぼんやりして仕事に支障が出たり、トラウマに苛まれることは日常生活に関わりますから、そこから逃れたいと思うかもしれません。
しかし、解離があるということは、より大きい苦痛を避けるために身体が死力を尽くして「解離」という生存戦略を選んでいることに他ならないのです。
パーツを理解し、その存在を認める
「見捨てられるのが怖いわたし」「怒りが止まらないわたし」など、自分のパーツに名前をつけて、その声を聞く時間を持つこと。
「わたし」の存在に気付き、認めることは、自分のとらえ方を大きく変えます。
彼らの存在と、恩恵を認めて関係を再構築していく、つまり「仲良くなること」が重要です。
パーツに「役割を終えてもいい」と伝える
「今まで守ってくれてありがとう」と感謝を伝え、もう極限状態ではないことを認識させます。
危険にさらされていた当時の生存戦略は、現在の(当時ほど危険ではない)環境とマッチしなくなっていることをパーツに理解させてあげられると良いでしょう。

パーツは自分を守ってくれてるんだね!「仲良くなる」ことが理解への第一歩!
私の境界線を守る
自分と他人はもちろん違います。
だからこそ、自分が自分である輪郭、境界線が大事なのです(エヴァンゲリオンのATフィールドみたいな)。
そこが曖昧になってしまうと、他人のために生きることになりかねません。その境界線を認識して守りましょう。
自分と他人の「境界線」を明確にする
頑張りすぎは、他人の期待に応えようとしすぎる結果。
「NO」を言える練習や、自分が責任を負う範囲を意識しましょう。
人が怒りを感じるときは、心の境界線を誰かが無理に越えてきたときです😡
こちらの境界線を許可なく飛び越えてくる人は、いわば自分を取り込もうとし、侵略してきているのです。
それでは他人の言いなりになってしまいます。しっかりと線引きし、拒否の意思を提示しましょう。
安全な場所(セーフティゾーン)を作る
感情が不安定な時、心を落ち着かせられる場所や行動(コーピング)を持つことが大切です。
例えば、自宅であったりお気に入りのカフェ、人に相談したり、音楽を聴いたりということがそれに該当します。
安心できる材料は多いに越したことはありません。いくつかそういったものを見つけてみましょう!

自分の人生は自分のもの!人生の手綱は自分で握る!
専門家の力を借りるという選択肢
こういった悩みや苦悩は、自分ひとりで解決するのは非常に難しい場合が多いです。
知識や概念が理解できても、「じゃあ次にどう動けばよいのか?」となったときに、答えを見つけることは大変骨が折れる作業となります。
ですので、そこで「専門家に頼る」という選択肢がとれるのであれば、望ましいことだと思います。
認知行動療法など、専門的な心理療法によって改善を図る
まとめ
頑張ることを手放し、自分を取り戻すために。
- 真面目・頑張り過ぎる、自己肯定感が低い原因はトラウマにある
- トラウマによってできた「頑張る」パーツが自分を動かしている
- パーツを受容することで自分との向き合い方が変わり、生きやすくなる
あなたの頑張りや感情の乱れは、性格や努力不足ではなく、トラウマから生まれた「生存戦略」(解離/パーツ)なのです。頑張ってくれた「パーツ」の存在と役割を認め、コントロールではなく「受容」することが頑張りすぎのループを断ち切ることにつながります。
変われない自分を、どうか責めないで。
まずは一歩、自分の中の『頑張り屋のわたし』に『ありがとう』と声をかけてみましょう。
今回参考にした本はこちら👇




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